

南半球のニュージーランドは夏の真っ盛り、「夕方の楽しみ」のお話をご紹介します。
昼間の強い日差しを避け、日が傾き始めた6時過ぎ、夕食の下ごしらえを終え、
住まいの前の通りの向こうにある、ハミルトンレイクに出てみる。
湖とはいえ、水深は池程度のレイクは、水鳥のサンクチュアリー。
外敵となる動物がほとんどと言って無い(その昔、開拓者によってテンなどが持ち込まれたとか)
ニュージーでは、湖岸の水位に合わせ、それぞれの場所に多種の鳥が遊ぶ。
この国に飛べない鳥が多いのは、外敵がいないからなのか。
なかでも私のお気に入りはプケコという鳥。
鶏大で、ブルーの体、黒い羽根、口ばしと脚と目が赤、という、何ともかわいくない姿で、最初はなじめなかったが、鶏と同じような独特な歩き方の様子がかわいく、今はハミルトンレイクのスターと私は思っている。
6時過ぎと言っても太陽はまだ高く、日差しは強いが、それでも湖面を渡る風は涼しく、多数の車が整備された外周道路の駐車場に停まり、車内で、また湖畔の芝生でと、早い夕食をとる人たちも多い。
カモ達がその周りをぐるりと取り囲み、おこぼれをじっと待っている姿も面白い。
 ハミルトンレイク
外周3キロをめぐるウォークウェイは格好のトレーニング場で、ジョギングする人、ウォーキングする人、老若男女がそれぞれのスタイルで湖畔をめぐる。一度すれ違った人と、また反対側で出会ったりするのも楽しい。
歩いていけば葦の群生から小さいウサギが逃げるでもなく顔をのぞかせ、写真を撮る人、湖にカヌーやヨットを浮かべる人、
さまざまな形でこの湖は町の人の憩いの場所であるようだ。
一時間ほどで湖畔を回り、帰途につくころにも、太陽はまだ上にある、湖面は銀色に輝き、風は木々の香りに花の甘い香りが加わり、なんとも清々しい.美しい夏のひと時である。


「帰国子女という経験」
小学2年で帰国したために、帰国子女というほど誇れる何かを得てきたわけではなかった。
そんな中で、一番に考えたのは、この経験を彼女の中に生かし続けること。
少し変わった発想や価値観は、海外育ちならではと思い、尊重し否定は決してしなかった。
日本の儀式、歴史、価値観は四季折々の行事をこなしながら、一つ一つ丁寧に説明することを心がけた。一般常識とは、ずれていたかもしれない。
「中学から新しい環境へ」
中学進学を前に、再度学校について考えてみた。
新しい日本の学校にも、努力して慣れることはできた。
だが、窮屈な感じは捨てきれなかったようだ。
もっと世界を広げたいと娘も親も考えるようになった。
そして、帰国子女が多く、娘とタイプが似ている人の多い学校にめぐり合うことができた。
相変わらず帰国子女らしい考え方。日本で幼稚園の年少から育った次女とは発想が違う。
自分の個性を押し殺さなくても受け入れられる環境を得たことにより、マレーシアにいた頃のような明るい表情を取り戻した。

新しい生活になじむ。それは、日本人であることそして自分の立ち居地を認識することです。
その地に根を下ろす努力をせずに、「また海外に行けばいい」
「違う環境に行けばよい」と簡単に娘が口にすることが何度かあった。
私たちは乗り越えることの重要性を教え、話し合い、本人が解決
できるように導いていった。
●親の姿勢
現実逃避はしない
子供を根無し草にしない
乗り越えることができたとき、精神面も強くなり、どんな環境にも適応していく努力ができるようになったと感じた。
「現在は高校1年生」
英語部に所属。文化祭では英語でミュージカルの舞台をする予定。
国際コースを専攻 英語の授業はnativeの外国人の先生が担当。
しかし、大学受験を目指すには、生きた英語だけでは追いつかない。
日本での英語学習方法に慣れるのに時間がかかった。
☆将来の夢は、プロデューサーになること
物を作り上げていくことがとても好き。一人ではなく、力を合わせて作り上げていく。
夢の実現のために、親は常に「ヴァーチャルではなくライヴで」を心がけている。
子どもだけでは触れられない、見られないものを肌で感じる機会を提供する。
本物に触れることを大切にする。

3歳~7歳までの海外生活が、彼女の人生のベースになっているということ
まだまだ小さな子どもと言われる時期の体験が、ここまで大きな影響を与えることになるとは驚きである。
これからも、私たちは娘とたくさん会話をしていき、成長を見守りたいと思っている。

海外生活カウンセラーならではの視点で、これから海外赴任にお出かけになる
ご赴任者とそのご家族に、ぜひ伝えたい「海外子育ての経験と現在の子供たち」について書きました。
娘が3歳のとき、家族3人揃ってマレーシアに赴任
マレーシアで次女を出産、そして4年が過ぎ日本への帰国は家族4人になりました。
娘たちには世界中どこに行っても、直ぐに覚えてもらえる名前をつけました。
小さい頃から、親の趣味で見せるビデオはディズニーのものばかり。
声優が良いからという理由だけで、英語版を見せていた。
ほんの少しだけ、耳から英語が入っていくことを期待しながら。
登場人物
長女
東京生まれ。3歳~7歳までマレーシア・クアラルンプールで過ごす。
インターナショナルスクールに3年在籍。
Grade2を終えて日本に帰国。
帰国後、都内私立小学校 2年生に編入。都内私立中高一貫校に入学
現在、高校一年生。
次女
*次女に関する「出産・子育て情報」は別途掲載します。
マレーシア生まれ。3歳までマレーシア・クアラルンプールで過ごす。
ローカルナーサリーに1年半通う。
帰国後、都内私立幼稚園年少組に編入。
現在小学校六年生。

●準備したこと
・現地の幼稚園のことを調べる
・船便の荷造り
私自身は、仕事で何度もクアラルンプールは訪れていたので不安は全くなかった、
逆に仕事をしていた時に戻るような錯覚になり、うきうき、新しい生活が始まることをとても前向きに考えていた。
近くに住んでいた友達が翌年の春から入園する幼稚園選びに四苦八苦しているのに、私はのんびりと過ごしていた。
赴任が決まって調べたのは、子供の幼稚園のことくらい。
日本人会幼稚園ができたということ、住居を決めたコンドミニアムの近くに、同じ会社の方々のお子さんが通っているプレスクールがあるということを知りました。
肝炎や狂犬病の予防接種も全く受けなかった。
船便にたくさん入れたものは、海外では手に入りにくいと思い子どもの絵本と。娘が大好きなかんてん(寒天)ぱぱとゼリー
異国に行くので、子どもには自分の国を忘れて欲しくないと考え、お雛様、和食器、ゆかた、折り紙など日本を感じられるものを荷物に入れた。
これらは、インターナショナルスクールに編入した後にとても役に立つこととなった。

●12月 一家3人 マレーシアへの旅立ち
「ふと感じる孤独と焦り」
出発前はとても忙しい毎日。何とかそれをこなし、クアラルンプールに到着。
赴任前には何の不安もなかったのに、「私はここで何をしたら良いのだろう!」という不安がよぎった。
日本人学校のスクールバスは午前7時過ぎにコンドミニアムを出発。
子供が帰ってくるのは日本人学校の送迎バスで、3時または5時に学校を出発するバスのため、何とも夢のような自由時間。メイドを雇えば家事からは解放される楽しい時間のはずなのに。
駐車場を見ると車が1台もいない、昼間のコンドミニアムには誰もいない。
そして、私はふと孤独と焦りを感じた。
「はじめての選択」 ‐プレスクールに編入‐
- 12月中旬
- ZAIKARIM Schoolホリデースクールから参加
- 翌年の1月
- Upper Nursery Classに編入
- 9月
- Reception Class
- 6月
- Reception Class終了
ローカルナーサリー・プレスクールとは
・原則として1歳半から入園可能で小学校入学迄
・Full Day :8:00 – 17:00
*14:00以降は何時でもピックアップできる
・Half Day:8:00‐13:00 ,14:00
・朝食、10:時にスナック(各自持参)、ランチ
午後にシャワーとお昼寝
長女の通ったナーサリー(プレスクール)は、バングサ地区にあり、カリキュラムはイギリス式(英会話、英語の歌、アルファベット、英語での図工、計算など)
インターナショナルスクールへ進むための、ベースはこのときにできたと思う。
先生はマレーシア人、中国系マレーシア人。
授業は英語。ローカルプレスクールは勉強中心。
生徒は、裕福なマレー人家庭の子ども、中国人、駐在員の子どもなど。

意外なことに勉強中心。日本は教育熱心という考え方が音を立てて崩れた。
プレスクールには通わせ始めたが、幼稚園に関してはまだ結論を出していなかった。
できたばかりでとても評判の良い日本人会幼稚園は、4月入園の年少の募集は締め切っていて、キャンセル待ちの状態。このままローカルスクールに通わせるか、日本人会幼稚園に行かせるのか、結論はギリギリの3月となった。
「日本にいるときよりも、夫婦でたくさん話し合う」
幼稚園をどちらにするかは、相当時間をかけて夫婦で話し合うことになった。
どちらも一長一短。海外に住んでいても私たち家族はいずれ日本に戻る [日本人]。
でも、せっかく海外で生活をしているのだから、色々な経験をしたほうが良い。
ローカルプレスクールから日本人の幼稚園に変わるのは、たやすいけれども、反対はとてもハードルが高い。軌道修正はいつでもできるので、むしろ選択肢を沢山持たせたいという理由で、ローカルプレスクールにそのまま通わせるという決断を下した。
もちろん、充分に夫婦で話し合った。
「2度目の選択」 ―インターナショナルスクールに編入―

マレーシアのプレスクール・ナーサリーは、先生の移動も多く、経営者もよく変わる。
娘が通い始めて1年が過ぎた頃のことだった。2つあった校舎が1つにまとめられた。
とても慕っていた先生がお辞めになった。スクールの雰囲気が少しずつ変わっていったように感じた。
当然のことながら校舎が半分になったので、子供たちにとって環境は悪くなった。狭いところに押し込まれ、トイレも少なく、衛生面も不安になった。
さまざまな理由が重なり、新たな学校探しが始まった。
友人の紹介で、モントキアラ・インターナショナルスクールに見学に行ってみた。
ゆったりとした空間、風が通り抜けるコートヤード、ブリーズウェイ、光がよく入る教室、校長先生
の人柄、全てに魅力を感じて即決。娘も無事にインタビューを一回でパスし、8月からの入学が決
まり、Kindergarden(日本の幼稚園年長)クラスに編入する。
3年後 Grade2 終了後、日本に帰国となる
「親子で努力」
子どもは環境に慣れるのはあっという間。
でも言語の取得には時間がかかる。
言葉が通じずにストレスを感じるのは子どもでも十分起こること。
環境に慣れること、言葉を習得すること、親のバックアップが必要。
先生にも積極的に働きかける。以心伝心はなく、言わなければ伝わらない。
親が参加できる行事には必ず参加する。ボランティアも積極的に。
身近に親を感じることにより、子どもは安心し、早く環境になれることができる。
●本帰国まで1年を切った頃から、だんだん帰国後の学校のことが気になりだす。
■帰国時のパターン
①家族全員一緒に帰国
②受験のため母子のみ先行帰国
③受験を終え、学校が確定した後、母子のみ帰国。
④受験を終え、学校が確定した後、子どものみ帰国
⑤赴任期間終了後、父のみ帰国。母子は現地にて学校に通う。
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私たち家族は、①を選びました。
お子様の年齢によっては、②③を選ぶこともあります。
④はお勧めできないパターン。
海外にいるときには、有名私立中学に合格したら、子どもだけを帰国させ、祖父母宅から通わせるということに、全く違和感はなかった。
しかし、子どもの精神面を考えると絶対にお勧めできない。
親から離れるストレス、新しい学校になれるためへのストレス、何よりも、日本人に戻るためのストレスが大きい。近くにいて細かくフォローすることは祖父母にはできない。
⑤は、子どもが高校生の場合などに考えられるパターン
高校生になると、義務教育ではないため、編入できる学校が少なくなる。
また、大学の帰国子女受験を考えている場合、滞在年数の要件を満たすために、現地に残るケースもある。ただし、この場合、滞在費、学費は全て自己負担になる。ビザも学生ビザを取り直すなど事務手続きも全て自分でしなければならない。
「帰国に向け準備をスタート」
一時帰国したときには、学校に関する本を調達。
直接学校に連絡をし、アポイントメントが取れたら訪問してみた。
面談の際には、海外でどんな経験をしているか、なぜ訪問したかをこちらからアピールした。
その結果、受け入れに前向きな答を引き出せた学校もあった。
インターナショナルスクールに通っていたが、日本人の友達との交流も大切にしていたため、日常会話には何の問題もなかったが、文字を書くことには不安があった。
クアラルンプールには補習校がない。小学校2年までの国語教育を家で補わなければならないことに気づき、教材を調達。日本語の勉強が始まる。
一時帰国の後、マレーシアに戻ってからは本当に忙しい毎日を過ごす。
マレーシアでしかできないこと。世界各国から来ているお友達とのコミュニケーション。
帰国後のために必要なことの勉強など。
●そして、4年のマレーシアでの生活を終え、6月に帰国

日本に帰国後、自宅近くの公立小学校に編入。
帰国編入試験が夏休み期間中のため、まずは公立小学校に通うことになった。
初めて教室に入った娘が言った一言
「みんな髪の毛が黒い」
「ハリーポッターが通じない」和製英語の発音ができないため、話についていけない。
少し慣れた娘が言った一言
「どうして下の名前でなく○○さんと呼ばれるの?」
9月 都内私立小学校に帰国子女枠にて編入
初めての面談で先生に言われた一言!

「日本の学校では、ビシッとしなければいけない時や場合があるのに、・・さんは、一人だけ妙に明るいですね」
帰国後、編入した小学校は、英語教育に力を入れている。編入試験を受けるまでに何度も学校を訪問し、面談も行なった。
英語力の保持に期待をしていたが、英語の授業は低学年には実施されておらず、手伝って欲しいと言われていた英語朝礼への参加要請も1回きり。宣伝と実態の違いに落胆した。
「異文化に苦労」
インターナショナルスクールにいたときは、「国籍」「国民性」というものを意識して生活していた。日本ではそれらがタブーとされていることが娘はわからず、ふとした一言を「差別発言」と決めつけられ、担任の先生からひどく怒られたことがあった。
*後に、先生にはそのことについて私たち親から理由を説明し、納得してもらった。
平等や和を重んじる日本の教育は、人と違うことを隠すことから始まる。
個性を隠し、目立たないようにする。自己主張をしてコミュニケーションをとってきた海外生活とは正反対になってしまった。

日本人であることを再認識して欲しかったので、厳しい私立学校を選んだ。
このことがインターナショナルスクールで伸び伸びと育った娘を混乱させてしまったことは間違いない。
「英語力の保持について」
海外子女教育振興財団の外国語保持教室に帰国後中学入学まで通っていた。
週に一度でも、nativeの英語に触れることを目的とし通わせていたが、本人はあまり真剣に英語に取り組もうという意思は無かったようだ。
公文の英語に週2回通い、文法等を学んだ。
これも、進度が速い割には、効果があったようには思えなかった。
本人が唯一誇れたのは、発音。
親としては、これを維持することを第一に考えた。
英検は帰国後直ぐに、5級からスタート。
4年生の2月に準2級に合格。
小学校卒業までに2級に合格することを目標としていたが、中学受験準備のため延期。
(実際には中学3年5月に合格。)
準1級受験は今のところ未定。現在はTOEICに挑戦することを目標としている。 |